置き石
私が小学生の頃のこと。 是我小學生石的事了。 家族とニュースを見ていた。 我正在和家人一起看新聞。 線路の上のが置き石が原因で、脱線事故が起きたということもの。 因為電車軌道上被放了石頭導致脫軌的事故。 「悪いことする奴ちゃなあ。」とわたしがつぶうやく( 呟く)と、父と母の目が私に向けられた。 「這些傢伙真的做了很惡劣的事啊。」我喃喃自語地說,然後爸爸和媽媽一起把目光轉移到我身上。 「えっ?なに」 「咦?幹嘛?」 「あんなにきつく叱られたのに、なんで覚えていないの。」と母。 「明明被痛罵一頓,怎麼會什麼都記不起來呢。」媽媽說。 あまりにきつく(きつい?)叱られたせいだろうか、まったく覚えていなっかた。こんなことあったらしい。 好像做了什麼被嚴厲斥責的事情,但是我完全不記得了。 似乎有這件事的樣子。
私は兵庫県(ひょうごけん)の尼崎市(あまがさきし)にある社宅で育った。近くに兵庫川という川があり、そこを渡る今のJR、当時は国鉄東海道本線の長い鉄橋と、それに交わる(まじわる)土手に踏切り(平交道)があった。 我是在兵庫縣尼崎市的社區長大的。附近有一條兵庫川,橫渡兵庫川的是現在的JR,當時是國鐵東海線的長鐵橋,和鐵橋交會的山丘上有一個平交道。 当時、四歳、五歳の私は、近所の小学生たちに連れられ 、その踏み切りの上に釘や五円玉を置いてペチャンコ(ぺちゃんこ)に変形されたり、小石をレールに置いて電車が粉々に砕く(くだく)遊びに熱中していた。 當時四、五歲的我和附近的小學生們,熱中於在平交道上面放釘子或五元硬幣,或是在鐵軌上放小石頭,讓電車壓扁,粉碎變形的遊戲。
ある日、幼い私はヘルメットに作業服姿の男性に連れられて帰ってきた。 那天,年幼的我被帶著安全帽穿著工作服的男性給帶回來。 「この子はお宅のお子さんですが」 「這個小孩是府上的孩子嗎?」 「ええ、うちの子が何か」 「是的,我們家的小孩做什麼嗎?」 「えらい(偉い)ことしよったんや。叱ってやんなさい」 「做的是可了不起了啊,請務必好好罵他。」 事情を聞くと、この人は作業を終えて、鉄橋を渡って対岸の西宮市側帰ろうとしていたらしい。ところが、はたと、なにか大事な忘れ物思い出した。鉄橋を歩いて尼崎方面へ戻った。ところが、渡り切りって踏切に出た途端にいったい忘れ物とは何だった思い出せなくなった。 聽畢事情的經緯,這個人在工作完成後,正打算度過鐵橋到回對岸的西宮市。但是突然想起,好像忘了什麼很重要的東西,又跑回鐵橋道尼崎市去了。結果,剛走出平交道,到底忘了什麼卻完全想不起來。 あたりを見廻していると、踏切の脇(きょう)に私がいた。 我剛好在平交道附近徘徊。 レールの上に小さい石を置いて、次にそれよりやや大きい石を置いて、だんだんと大きいな石を並べている。そのうえ「よっこらしょ」とばがりに両手で抱え上げるほど石を持ちあげて線路に置こうとしていた。 在鐵軌上放小石頭,接下來放更大的石頭,放上去排著的石頭越來越大。接下來,「嘿咻」兩手抱著雙手環抱大小的石頭放在鐵路上。 「こら!何してるんや!」 「死小鬼!在幹什麼啊!」 この作業員は、慌てて私のところに走って石を取りあげると、ひどく叱りつけた(叱り付ける)。そして家まで案内させたのだという。 這個工作人員慌張地朝我跑過來,拿走手上的石頭後狠狠地罵了一頓。然後讓我帶路回我家。 「あんな大きいな石、電車が踏んだらひとたまりもない 。大事故になることや。そやけどな 、あんたんとこの子、ごっつい(こつい)運がええで 。こんなことわしもはじめてや、ほんま 大惨事になってたことや。」 「那麼大的石頭被電車輾到一定會出事,會釀成大意外啊。這孩子運氣不錯。我啊,也是頭一次遇到這種事情,搞不好會釀成大禍啊。」 その後、私は父からいやというほど殴られたらしいが、私はまったく覚えていない。 之後我被爸爸狠狠的修理,可是我完全不記得了。
母親は、何かがこの子を守ってくれたらしい、と思ったらしい。 似乎是有什麼在守護這個孩子,媽媽是這麼認為的。
|
|